成長記録

プロフィール

基本情報

・比嘉 祐実(SNSネームは「ゆうみ」で活動)
・1997年8月4日生まれ(26歳)
・沖縄出身、2023年から伊豆へ移住

【経歴】
・自分の趣味から起業するも集客に苦しみ1年で挫折
・会社員として就職→働き方が合わずにモヤモヤ
・場所や時間に縛られず、自分らしさが活かせる働き方を模索している時にインスタ運用代行の仕事に出会い、オンラインスクールで学びながら副業としてスタート
・2024年3月で会社を退職。今後はインスタだけではなくYouTubeやTikTokの運用も学び、趣味を仕事として成功させる女性を増やすためのサポートがしたいと思っています。

このブログでは

趣味起業で集客ができずに挫折した私が
やりたいことを仕事として成功させるために必要な
Webマーケティング力を身につけて月収30万円を叶える!

までの道のりを発信していきます!

今回は私がなぜ会社員ではなく自分の好きなことで起業して自由に生きることにこだわるのかについて自分の人生のすべてを振り返ってお話します。

少々長いですが、「ゆうみってこんな人!」というプロフィールにもなっているのでぜひ最後まで読んでいただけると嬉しいです!

幼少期〜中学時代 :自由を求めるきっかけ

幼少期の記憶は正直ほとんどありません。

ただ、大人になってから母に「私ってどんな子供だった?」と訊いたとき「手のかからない子だった」と言われたことがあります。

私は4人兄弟の末っ子で、母は私を43歳で産んでくれました。
いわゆる高齢出産だったわけですが、母子共に健康に産まれてくることができ、今では母にすごく感謝しています。

しかし、幼い頃の私は歳をとった母親にコンプレックスがありました。

周りの友達のお母さんは若くて話も通じてとても楽しそうに見えましたが、私の母は歳をとっているせいか(それとも性格なのか)いつも自分が中心で子供に合わせることをしない母親でした。

母は私からみると子供っぽい性格で、私が小学生のときは更年期障害もあったのか精神的にも不安定だったんです。

1番記憶に残っているのが私が小学校2年生のとき。「歳をとった母親だから私のことを理解できないんだ!」と母と言い合いをしたことがあります。

そのときに母は「そうだね。お母さんなんて死んだ方がマシだよね。今から死んでくるね。」と言って家を出て行ったんです。

私はそこまで母を傷つけるつもりはありませんでした。ただ母に自分のことを理解して欲しかっただけなんです。なんで分かってくれないの!

その当時の私は家を出ていった母が本当にいなくなっちゃうんじゃないかと不安でいっぱいになり、結局自分から何度も電話をかけ、泣きながら「私が悪かったよ。ごめんね。」と謝りました。

そんな感じで「どっちが親でどっちが子供なの?」というくらい母に合わせ、気を遣いながら幼少期を過ごしてきた気がします。

中学まで実家で暮らしましたが、日々我慢の連続で「早く家を出て自由になりたい」という想いから高校は寮のある学校を選びました。

高校時代 :自由とは真逆の世界

無事、母から離れることができ寮生活がスタート。

「やっと自由になれる!」

と思っていましたが現実はそう甘くはありませんでした。

そもそもなぜ私が家から遠い寮のある高校に行けたのか。それは中学から始めたソフトテニスを高校でも続けるという理由でした。

中学の頃は家が嫌いだったのでとにかく部活が楽しく、それなりに熱中していたので周りよりちょっとだけ上手くなりました。

中学生のときに1度だけ県の選抜メンバーに選ばれたことがあり、「高校では強いチームでやろう!」と謎の自信があった私は全国大会も常連校で県ナンバー1の高校を選択します。

表向きは「部活を頑張りたい」でしたが本音は「実家を出れる都合のいい高校」だったからでした。

そんな安易な考えで始まった高校生活。
一言でいうとそこは監獄でした。

毎朝5:30に起床、6:00から朝練が始まり、
放課後は夜8:00過ぎまで練習。
寮に帰ってくるのは点呼ギリギリの夜9:00でそこから食事、洗濯、掃除当番。
土日は毎回1日中練習。自由な時間はほぼなし。

まさに強豪校スタイルといった生活リズム。

「私、ここかなり場違いなのでは…」

周りのメンバーも意識が高く、誰一人だらけた人間はいませんでした。(正確には厳しさに耐えられず辞めていく人が多かったので精鋭されたメンバーだった)

そんな環境の中で私は自由を手に入れるはずもなく、毎日辛い、しんどいと思いながらも周りについていくために、とにかく必死でした。

そんな監獄のような生活を送った3年間。
最初はやる気も実力もなく、ダブルスのペアがいないくらい最弱の自分でしたが周りのメンバーや環境に感化され、1日も休まずに練習に参加していた結果、

自分たちの代ではキャプテンを任され、県大会優勝、九州優勝、団体でも個人でも全国インターハイに出場することができ、結果的にはとても充実した高校生活を送ることができました。

本当に監獄のような3年間だったのでもう2度と戻りたくはないですが、
何かを成し遂げるためには

・志の高い人たちと関わること
・自分を変えられる環境に身をおくこと
・最初は辛くても継続すれば必ず成果につながること

を学びました。

大学時代  :自由なのに満たされない日々

高校生活はそれなりに充実していましたが、自分の求めていた「自由」とは真逆の世界だったので大学生活こそは!という想いで初めての一人暮らしを始めました。

一人暮らしはそれはもう天国!

好きな時間に寝て好きな時間に起きられる。
何を食べるのも自由だし夜遅くに帰ってきても誰にも怒られない。

しかし天国に思えたのも最初だけで、徐々にダラダラとした日常に飽きてしまいました。

「この退屈な日常から抜け出したい」

当時、大学では国際学部を専攻していたこともあり、海外に対して”自由”なイメージを持っていた私は「自分の求めているものは日本ではなく海外にあるのかもしれない」と思いが強くなります。

こうして私の大学生活は、週7でアルバイトを掛け持ちして、お金を貯めては海外に行くという生活を繰り返すようになりました。

大学時代に行った国は10ヵ国!(アメリカ、カナダ、メキシコ、インドネシア、マレーシア、インド、タイ、カンボジア、ベトナム、中国)

初めて行く土地は自分の知らなかったことがたくさんあり、とてもいい刺激になりました。

しかし日本に戻るとまた現実に引き戻され、週7バイト、大学の授業の往復でつまらない日々が続いてしまう。

この時の私にとって海外に行くことは現実逃避で、日常を疎かにする原因にもなっていました。

ヨガとの出会い:心境の変化

つまらない日常でしたが、アルバイトの1つで「ヨガスタジオの受付」を始めたことをきっかけにヨガと出会います。

最初は「ダイエットになるからいいかも!」と思って始めたのですが、ヨガをした後の爽快感、身体はもちろん心も穏やかになる感覚にすっかり魅了され、もっとヨガを深めたい!と思うようになりました。

ただポーズをとるだけのヨガではなく本質的なヨガの哲学が知りたかったこともあり、大学2年生の春休みを利用してインドに1ヶ月間ヨガ修行に行くことに。

結果的にこのインドでの経験が私にとって自分の生き方や価値観を形成する大きな転機となりました。

具体的には

・心と身体のつながりについて興味がわいた
→身体を整えれば心も穏やかになり、心を整えれば身体の不調も改善される

・インドでのぶっ飛んだ人たちとの出会い
→会社員や社会のレールに縛られることなく、やりたいことに全力を注ぐ自由な生き方をしている人たちの価値観に触れた

このヨガ修行はインストラクター養成プログラムだったため、全日程を終了した私は無事資格を取得し、帰国後はまだ大学生でしたがヨガを教える立場になります。

大好きなヨガの魅力を伝える仕事はとても楽しく、大手ヨガスタジオやフィットネスクラブと業務提携を組み年間350本以上のレッスンを担当させてもらいました。

大学4年生になり就活も考えましたが、ヨガのお仕事が好きだったことや2020年のパンデミックの時期と重なって就活が困難だったこともあり、大学卒業後もフリーのヨガインストラクターとしての道を選択。

新卒は使わずに自分のやりたいことで生きる決意をしました。

趣味で起業:集客できずに挫折

大学卒業後も業務提携をしていたスタジオでレッスンを続ける予定だったのですが、2020年のパンデミックにより、レッスンを開催できない日も多くありました。

そうなると収入は不安定になり「このままじゃやばいかも」と自分のキャリアについて焦りがでてきます。

それに加えてヨガのレッスン内容についても大幅な変更がありました。

・マスクの着用義務
・ソーシャルディスタンスの確保

これらはヨガの本質的な部分である「呼吸」と「他者とのつながり」を奪うもので、私の伝えたいヨガの好きな部分が伝わらない要因になりました。

やっていて自分が楽しめないレッスンは生徒さんにも失礼。
私は仕方なく業務提携の契約を全て打ち切り独立を決意します。

その頃からヨガとは別にピラティスやメンタルセルフケア、自然療法など自分の興味のある分野で学んでいたので

自分の知識や経験を総合的に提供する場として、2022年の2月に「女性の心と身体を整える」をコンセプトとしたパーソナルスタジオを沖縄でオープン。

当時の私はあまり後先を考えずに、「まぁなんとかなるでしょ」と割と前向きな気持ちだった記憶があります。

スタジオのオープンまでも創業資金を調達したり、内装業者と打ち合わせをしたりと忙しくしていていましたが、とても充実した期間でした。

しかし本当に大変だったのは、やっとの思いで開業をした後です。

最初はお友達や親戚がレッスンに来てくれて幸先のいいスタートでしたが、期間のプログラムが修了すると次第に来なくなり、売上が作れない日々が続きました。

業務提携をしていたときはスタジオ側が集客をしてくれていたので私たちインストラクターはレッスンを開催することができていましたが

自分でスタジオを経営する場合は、自分で集客をしないといけないということに開業をしてから気づき、ビジネスを学んだことのない私は集客に対してかなり消極的でした。

自己流でインスタを使った告知をして、なんとか集客できたこともありますが効果は一時的なもので、集客のできない自分はこの仕事に向いていないんじゃないか。と思うようになり、最後には大好きだったヨガのことまで嫌いになってしまいました。

貯金も底をつき、このまま赤字を続けるわけにはいかない。

ここから挽回できるほどの気力も熱量もなくなっていた私はスタジオ開業からわずか1年で事業を辞めることになります。

俗にゆう「起業失敗」です。

この経験から

・好きという気持ちだけで仕事として成り立たせるのは難しい
・集客ができないと焦りや不安が生まれて余裕がなくなる
・正しいマーケティングの方法を知らないと成果に繋がらずに疲弊してしまう

ということを身をもって体感しました。

伊豆に移住:会社員の苦悩と退職までの道のり

お金の不安があった私は近所の居酒屋やインテリアショップなどアルバイトを掛け持ちしながら事業を続けていました。

しかし、短時間のアルバイトの収入ではすぐにスタジオの維持費として飛んでいきます。

事業を辞めた後、一旦まとまったお金が欲しかった私は1ヶ月間、伊豆でリゾートバイトをすることにしました。

沖縄では保護猫と暮らしていたので、猫を1ヶ月間置いていくわけにもいかず「寮ペット可」の求人で探していたら「ペットと泊まれるリゾートホテル」の求人があったので迷わずそこに決めました。

しかもその町にはインドで知り合って1番仲良くなった友達が住んでいる場所で、私も何度か遊びに行ったことのある土地だったのでこれは運命だと思いました。

こうして短期間だけ保護猫と一緒に沖縄を離れ、伊豆での生活がスタートします。

仕事内容はホテルのフロントスタッフ。でもただのホテルではなく、わんこや猫ちゃんも泊まりにくるホテルだったので動物好きの私にとっては癒しすぎる職場でした。

そしてこのホテルで人生を変える出来事が起こります。
それはパートナーとの出会いです。

これまでは自分のやりたいことが優先でなかなか彼氏ができなかった私。

しかし一通りやりたいことに猛進してきて少しお休みをしようと思っていた時期に人生で初めて結婚も考えられるような理想的なパートナーと出会いました。

この出会いをきっかけに、私は沖縄をあっさり離れて伊豆に移住。
ホテルは派遣社員から正規雇用に変えてもらい、人生で初めて会社員として働くことになります。

26歳になって初めての会社員。

最初は会社員って売上を作ろうと頑張らなくてもいいし楽でいいなと思っていましたが

フルタイムでの雇用は時間を奪われ、身体的にも疲労がたまり、休日は仕事のために身体を休めるといった仕事中心の生活になっていました。

きっとこれが社会人の普通。
でも私にはその普通が難しく、会社員は自分には合わないという思いが日に日に強くなりました。

彼とは同じ職場でもシフトが正反対だったので家で会うことがほとんどなく、このままではなんのために一緒に暮らしているのか分からない!と思った私は

彼との時間の確保、将来子供が産まれてもできる、田舎に住んでいてもできる。という条件の揃った「在宅で働けるお仕事」に興味を持ち始めます。

色々調べていくとインスタで女性が在宅などリモートワークで活躍できる「リモラボ」というオンラインスクールを見つけました。

その中の仕事内容に「インスタ運用代行」というお仕事があり、過去に集客で挫折した自分の経験が活かせるんじゃないかと直感的に思ったんです。

インスタで集客できるようになれば自分のやりたい事業を仕事として成功できる人が増えるはず!

こうして2023年10月にリモラボに入会を決めました。

それからはcampという3ヶ月間の集中型コースを選んだこともあり、2ヶ月半で初案件を獲得。
インスタ運用代行としてのお仕事でも少しずつ収入を得られるようになりました。

「自分のやりたいことはこれだ!」

そう感じるようになってからは会社の時間がとにかく苦痛になり、自分のやりたいことを追求するために2024年3月末で退職することを決めました。

今後の目標

4月からは何にも縛られないフリーランスになる予定の私。
自由になることが嬉しい反面、収入面での不安があるのが正直なところです。

それでもやりたいことをやっていたい。
今後も自分にとって自由な生き方を追求していきたいと思っています。

今回の記事で何度も出ている「自由」というワードですが、すごく抽象度が高く、人によっても解釈が違うと思います。しかし1つ確実に言えることは

自分のやりたいことを追求して自由を手に入れるためには「趣味の仕事だとしても売上を作る」ことが重要だということです。

そしてどんなビジネスにおいてもお客さんを集める、商品を売るといったマーケティングの力が必要です。

しかも今後はインスタだけではなく、ブログ、YouTube、公式LINEといった総合的なWebマーケティング力が必要になってきています。

まとめると

やりたいことを事業として成功させるためのWebマーケティング力

が必要だということです。

このブログでは、

過去に集客がうまくいかずに起業に失敗した私がWebマーケティングを本気で学んで1年後に月収30万円を達成するまでの道のり

を記録していきます。

1年後、私が宣言通り「月収50万円」を達成していたらこのブログはかなり再現性のあるものだと証明できるはずです!

そうなれるよう、1年間本気で学んだことをこのブログでアウトプットしていきますので

やりたいことを事業として成功させるための力を身につけたい!

と思っている方はぜひこれからもチェックしていただけると嬉しいです。

かなり長い自己紹介でしたが、最後まで読んでいただきありがとうございました!

私が会社員からフリーランスとして一歩を踏み出すきっかけとなった
女性のためのオンラインスクール「リモラボ」の詳細はこちら。